FC2ブログ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
ええか、ええか、ええのんか
主水オールナイトニッポンを愁いる。

鶴光師匠には申し訳ないがエロネタではない。
オヤジ的にはこの件でオールナイトフジの復活を渇望するが(爆)

そろそろ材料も出尽くした感が有るので書かせて戴くが、世間ではポン社株を巡るラ社とフ社の動向に注目が集まっているようだが、どうも単なるマネーゲームと言う事でもないらしい。
ラ社に対し新株予約権で対抗しようとするポン社であるが、この新株予約権付き増資こそ意図が不明確であって、株式市場の閉塞化、つまり一般投資家が株を買い難い状況を作る事に繋がると危惧する声もある。
普通企業というものは、公開、未公開に関わらず株式発行に際しては投資家に対し、その使途を明確にした上で出資を受け入れるものであるが、今回のポン社の場合は誰が見たって敵対勢力への対抗策であり、肝心な企業としての資産価値が高まる訳でもない。
敵対的買収に対しては、経団連のオクちゃままで乗り出してきて「道徳的に禁じ手」であると唄っているが、果たしてどちらの社を非難するものか、賢明な皆様はその矛盾にお気付きであろう。
更にワイドショーで語られただけで活字にこそなってないが、ラ社のような急成長を遂げた企業の株式市場参入は望ましくないとの声もあり、ベンチャー企業社長の気を削ぐに充分な冷や水とも取れるのだが、彼らの集団自殺報道だけは絶対見たくない(爆)

ラ社はポン社株買い付けの為に米リー社に社債発行を申し出た。
調達額は800億と報じられているが、これが転換型社債であるところがミソである。
ラ社が返せなければ自動的にリー社がラ社の株を順次保有していく仕組みであり、もしそれ以前にラ社がポン社の筆頭株主になっていた場合には、ポン社に対するラ社の権利は消失し代わってリー社が大株主となり得るのであるが、ここで電波法上の大問題が生じる。
現法では国内放送局に対して、外資系企業が2割以上の株を取得する事はご遠慮戴いている。
これは報道の倫理的概念に基づくものとされており、米、仏などもこの分野での外資の参入を厳しく規制しているのであるが、某国総務省もようやく気が付いたようだ(爆笑)
現状ではラ社は日本企業であるが、リー社からの支援を受けている以上、また国内でのシェアを考え合わせたらリー社にしてみれば実に魅力的であり、リー社が優しい対応をする訳もなく、既にラ社がポン社株を四割強を取得したと報じられている現状では、リー社が打って出る可能性が非常に高い。
受けて立つポン社としては、無い髪振り乱してあらゆる手を尽くして選んだ手段が、新株発行とその取得件の指定であるのだが、それでは一般投資家はどうなるのであろうか。
株価は半減し取得額より安い額で損をするしかないのであろうかと、思う所にTOBである。
「このままでは株価は半減しますよ」と言いつつ、株主から「公開買付」の大義名分の名を借りて株を買い戻す手法たるや、一般投資家の切り捨てという言葉以外は何も思い浮かばない。

無計画な増資は過去のワラント債での失敗が裏打ちするように、後々企業を苦しめる結果としかならない。
そのような企業の株を今後一般投資家が買うものだろうか。
投資というのは配当や売却益が見込まれるから投資と呼ぶのであって、もし自分が投資した金が何に使われるか判らないのであれば、それは投資ではなくお布施と呼ぶに相応しい。

そもそもラ社の行動については時間外取引で買い漁ったという経緯はあるが、法律に触れる事は何ら無く、単に年寄り達の逆鱗に触れたに過ぎなかった筈である。
堀江社長の当初の買収目的は単なるM&Aと思われ、メディアを刷新するなどと言うのは、後になって取って付けた言葉であろうと思う。
それはポン社を買収する決定的なメリットが見当たらない事からも考察する。
インタラクティブなラジオ放送を実現するのであれば、帯域に余裕があるFM局を買収すべきだろう。
どうも孫社長の幻影が見え隠れするのは私だけであろうか。
孫社長がラ社に対し影響力を持っている訳ではないが、楽天に煮え湯を呑まされた堀江社長は、ホークスオーナーとなったソフトバンクの姿をどこかで追いかけているように感じるのは意地悪というものであろうか。

と言いながらも、21世紀型ヒーローとなってもらいたいと、ホリエモンを応援する私である。
希望も薄くなった現世で、あなたに憧れる子供達は沢山いると思いますよ。
でも才能と力の使い方は無駄の無いように頼みますよ。

スポンサーサイト
D70効果?
2694撮影雑記です。
左は今日のダメ写です。

今日もまた早朝の撮影に行って参りました。

厳しい冷え込みも和らぎ、草の匂いすら感じられる穏やかな朝でした。
けど、、、撮れません。
いつもの撮影地は車で片道30分程度なので、毎朝でも通えるのですが、小鳥が撮れません。
撮れたのは青鷺さんと小鷺さん位なもので、何となく不完全燃焼状態です。

それではと気を引き締め、ネットで予め調べておいた片道100Km圏の某所へ向かう事に。
運良く道に迷う事も無く到着したそこでは、絶え間ないさえずりが飛び交っていて、何やら期待が持てそうな雰囲気。
肉眼で確認した限りでは、ヤマガラ、シジュウカラ、シメ、ツグミでしょうか。
で、構えてみると、、また撮れません、、(泣)
曇天が災いし、300m/F5.6に×2のテレコンバータを使う身には暗すぎます(言訳)
AFは使えないし、シャッタースピードが上がらないのでブレブレだし。

また出直そうと思いますが、楽しい事も。
私が展望室からダメ写撮影していると、後からいらっしゃったバードウォッチャーご夫妻と何とはなしに話しているうちに、「それ何ミリですか?」とご主人が仰りまして、「え?何で」と思うとご主人の手にはしっかとD70が(爆)
あららら奇遇でございます事と思い、テレコンバーターは余りお奨めでは有りませんよと話していると、今度は館長さんが話に加わってらして、盛り上がる事と言ったら際限無しで、思わず「撮影させてください」と言ってしまった位でして。
館長さんの話を聞いていると、これまた凄かったです。
野鳥の会のメンバーで、撮影と渓流釣りの生涯で、カメラ関係には随分投資されたとの事で、銀塩しか無かった時代に400mmを買ったり(60万強)、奥様と随分とお揉めになったとか..
更に凄いのは、本州の有名ポイントを全て周られたという事で、撮影時のポイントなどご教授戴きましたけど、、、それはひたすら身を隠して待つという事でして、スポーツ撮影ばかりしていた私には撮りに行く習性が身に付いており、全く持って無理な話なんですが、カワセミやヤマセミの撮影テクなんかも教えて戴きました(幸)
身を隠してひたすら待つ事ですね、熊に逢ったら諦める事でしたっけ(爆)

館長さんお世話になりました。
コーヒーご馳走様でした。(外で撮影していた私を気遣って下さって、煎れて戴いたんですよ。大先輩に)
今度はお茶菓子持って伺います。

鳥好きとしてこんな幸せな場所、本当は秘密にしたいんですが、お土産を持って行って下さるという条件でお教え致します(冗)
http://www.wbsj.org/sanctuary/071/

Free as a bird
2192おサボリからの復活記事がこれではと、お叱りを受けるかも知れません。
本論はどうしたのと言われるかも知れませんが、難しいテーマなので、、、今日の所はひとつ穏便にお願い致します。

春ですね。
立春を過ぎて木々の芽も膨らみ、野鳥は恋の季節です。
まぁ、氷点下でも盛っていた白鳥などもいますが、基本的に恋は春するモンだと思いますよ、その方が美しいし、撮る側も楽だし(笑)
脇道に逸れました。
あと3週間もすると卒業式、6週間すると入学式ですね。
それに間に合わせる訳ではないのでしょうけど、一日一日と日が長くなり、雪が雨に変わり、北風が春一番へと吹き替わり、急速に季節が変わり行きます。

可愛らしい小鳥達が戻って来る季節でもあります。
メジロ、ウグイス、ビタキ等々、直ぐに山々が喧しい程の賑わいになる事でしょう。
若い子にとっては桜咲くとか、散るとかの季節に例えられるのでしょうけど、春は誰にでも公平に訪れますから、大丈夫、乗り切れますよ。

人間には旅立ちのシーズンでもありますね。
自らの進路を決めて旅立って行く若者の後姿を、つい応援したくなります。
ついでに単身赴任のお父さん達も応援しておきます。

上昇気流を掴まえて、高く、遠くへ羽ばたいて下さい。
そして今まで以上に輝いて下さい。

尚、お父さん達は控えめに(爆)
バレンタイン後記
負け犬の遠吠え編(爆)

ショートネタでございます。
続きを書くにはまだ集中力が足りませんので、暫しお待ちを。

今日はバレンタインでしたね。
お読み戴いている男性陣で、この日に自らチョコを買う憂き目に有った方、います?
しかも半命令形で、、
「今日はもう安い筈だから、ロイズの生チョコ買ってきて」って、出掛けに言う言葉か(泣)
(あぁ、あのフニャフニャして、ココアパウダー振ってある奴ね)
ハイハイ、もう女は卒業してましたねって嫌味をブツブツ並べながらも、小田急のチョコ売り場へ向かう私。
でも、いや、駄目、さすがに女性陣と一緒には並べません。
諦めかけて出口に向かうと、そこにはワゴンとオバちゃん一人。
しかも元馬○妻が指定した生チョコが、、お金は予めお釣りの無いように用意し、速攻「一つ下さい」と言って足早に立ち去る私、、レシートなんて要りませんから~。

娘に食べさせたいと思って買えば良かったのですが、、やはり抵抗がありますね。
こんな思い遣りの無い家庭でしたから、速攻砕け散りましたけど。
今でも思い出したくないです、、ホント。

あ”~明日は早起きして撮影行こ!
嫌な事を思い出したら、、、ストレス感じたら、これが一番です。
喉痛いです
2038昨日、夜明けを撮った事が響いてます。

風邪かもしれません。
難しいことを書いたんで知恵熱との噂も(爆笑)

なのでお休みとも思ったのですが、せっかく来て頂いたのに申し訳ありませんので、昨日撮ったお気に入りのヤマガラさんの写真アップします。

<追記>
もうちょっとお休みします。 集中力が無くルーティンワークしか出来ません。
治りが遅いっていうか、年はとるも、、ゲホゲホ。
お詫びにお気に入りの鳥さん達をアップしますのでお許しを。
左からアオゲラ、シジュウカラ、エナガです。
でも、なんか、駄文書かないで写真だけの方がアクセス多いような(爆)
あ、微熱のせいね。


1983

2084

2063



子供心と親の都合
1849良い子の条件

前章で書いた通り、子供は親に愛されたい、褒められたいという本能的欲求がある。

であるから、率先してお手伝いをし、お片付けを憶え、いつも良い子であろうとする。
言い換えれば親の都合次第で何でもやってしまうのである。
悪い面での極端な引例なので適当に聞き流して欲しいのだが、親について行ったパチンコ屋でこぼれ球を拾い集めたり、他の客の玉を盗んだり、万引きをさせられたり、挙句当たり屋をさせられたりしても、親にとっての良い子で有りたいのだ。
子供であるから善悪の倫理観は当然未熟であるが、例え恐い思い、痛い思いをしても、親に褒めて貰いたいという唯一無二の価値観が子供心を突き動かしてしまうのである。
この子供の心理を逆手に取ってしまう最悪の事例が、性的虐待である。
未だ性的倫理観も学んでいない無垢な心であるから、「パパが喜ぶから」とか、「憧れのあの人が言ったから」とかの子供心の判断で従ってしまうのケースが多いとの調査結果がある。

子供を良い子とするか、悪い子とするかは、単純な話、親や周辺の大人たちの都合に拠るところが大きい。
「この子は内弁慶で人前だと尻込みして」などと親が謙遜して言う子であれば、先ずは安心であろう。
恐いのはその逆のケースである。
「ウチの子に限って」ではないが、家では大人しく親に従順であるのだが、そこで溜め込まれたストレスを学校や友人達にぶつける例である。

人類は他の哺乳類に比べれば、子供が成人に達するのに最大の年月を要する。
言い換えれば産み落とされた時点での子供の知能レベルは猿の子供と同じで、違うは到達点だけという話である。
また、人間は猿と違って膨大な年月を掛けて子育てをするのであるが、年月要素を除いての猿との決定的な違いは情緒的育成を行うという事である。
これが後に子供が自らの人格を形成していく上でのコアとなるのであるが、身体測定と違って標準値が無い。
成績表にも情緒的発達の記録欄はない。
有っても担任の感想レベルであって「落ち着きが無い」程度の記載しかされず、子供が抱えている心の問題や、ADHDの初期症状の発見などはスクールカウンセラーがまだまだ足りない状況下においては望むべきもないのであろう。

親の前ではいい子を演じ続けながら、その心の葛藤に苦しむが、自身の全てを受け容れてくれる理解者が中々現れないのが現状である。
不幸にもその様な状況下に置かれた場合、子供達は次第に外部に対して心を閉ざすようになる。
自己保身の働きである。
他動的な価値観ばかり押し付けられてきた子供の心には、自動的な価値観は育ち難い。
親や教師の価値観を自らの価値観としてすりかえてきた心では、一旦それらに不信を抱くと、自己の柱が無い分、崩落するスピードが早いのである。
また、自己価値のコアが欠落しているために臆病となり、他人の様々な価値観を受け入れる事が出来なくなる傾向がある。
後にAC(Adult Children)となり得る充分な要素である。
ACとなってしまった人たちは、過去に置いて来てしまった自分自身の子供らしさ、価値観を取り戻すために莫大な苦労を背負い込む事になるのであるが、ACは連鎖性が高く、その子供もACとなる可能性が高いことは広く知られている。

これらは最大の理解者であったはずの親が、子の心を充分に理解出来ていなかったために招いてしまった結果であると言えよう。
心の方向
1685私は愛情には2つの種類があると思っている。

働きかける愛情と、見守る愛情である。


前者は子供の愛情表現や欲求に例えられると思う。
本来子供は親に愛されたい、褒められたい、満たされたいという欲求を必ず持っているもので、これは自らが生きて行くための本能だとも言える。
稀に青年期を過ぎても、同様の愛情表現を持ち続けている大人に出会う事が有るが、私はこれを内向きの愛情と呼んでいる。

後者は親が子を想う愛情や、慈愛と表される愛情であろう。
母親が子供に向ける愛情、見返りを求めない愛情は美しいものであり、美徳と言われ何者も太刀打ち出来ないものであると言われ続けてきたが、昨今、その内容は顕著に変化しているように思う。
内向きの愛情、自らの心を満たすための欲求が見え隠れするようになったと感じている。

私は精神科医でも心療内科医でもないので、ここに書く事は日々の雑感に過ぎないが、昨今の痛ましい報道を耳にするたび、当事者である親達は、自分の心を満たす事に精一杯になっていたのではないかと、気付くことがある。
親の満たされない心を埋めてくれる相手が、自らの子供となってしまったケースである。
本来は本末転倒の話であるが、子供は無垢な本能で必死に応えようとするのである。
しかし、バランスが崩れた時、子供はその全てを受け止められなくなり、自分を守ってくれていたはずの親にさえ興味を失ってしまう。
これは保身本能とも言える事であるが、自分を守ってくれていたはずの親の存在、心の支えが崩れる時でもある。

子供は大人と違い、物質的愛情表現を求めるのが自然である。
言い換えれば、物と心の欲求の区別がまだまだ曖昧であり、自分が欲しがる物を与えて貰う事に愛情を感じようとするのであるが、それすら叶わぬ事も有るのが現実というものであり、経済的な皺寄せは先ず子供を直撃すると言っても過言ではない。
バランスが取れていた時とは違い、目の前に居るのは経済的に困窮し苛々を募らせる親であったり、子供に感心が持てなくなった親である。
それでも子供は親の救護役として健気に気遣い言葉を掛ける。
それが時として火に油を注ぐ結果となる事など、子供は知る由もない。
次第に親は子供を遠ざけようとし、時に邪魔な存在と感じるようになる。
そうすると、子供は状況を敏感に感じ取って刺激しないよう、親に言葉を掛けないようになる。

親の愛情が内向きとなり、子供も物質的愛情を求めなくなった家庭。
そこには温かいご飯も温かい布団も求めようがない。
湯気の立つご飯
1736もう7年も前に亡くなったウチの和尚の言葉であった。

この言葉を聞いたのは母親の葬儀の時である。
「毎朝熱いお茶とお水、湯気の立つご飯を供えてください」と仰った。
当時の私は大量に仕事を抱えていた身で、何よりそれ以降の父親の暮し向きを考えなければならず、その時は言葉の意味を深く考える時間など全く無かった。
多分今でも、半分も理解出来ていないと思う。

以前の私の趣味は料理と言っても過言ではなく、特にウチのオーナーと出会ってからは、ライバル心を勝手に滾らせ、食材探しや新メニュー考案に熱を入れていた。
独身時代、よく料理を作っては富山に帰ってしまった友人やその友達、ナースの卵達、果ては離婚した元妻の友人達まで自宅に招いたりしていた。

富山の友人、彼とは20年来の付き合いであるが、料理を食べながら必ず言う言葉があった。
「幸せ~」というその一言は、いつも失敗作ばかり食べて貰っていた立場からすると、只々戸惑いを感じるばかりで、いつも心の中ではスマンとすら思っていた。
しかし、今になってようやく言葉の意味が判ってきたような気がする。

ある時、TVに出演されていた非行カウンセラーの伊藤幸弘さんの言葉が耳が止まった。
「お母さん、温かいごはんと、温かい布団があれば子供は帰って来ます」というものであった。
ふと、亡くなった和尚の言葉と同じであるように思った。

作家山川健一さんの短編の中にあった一節を思い出す。
アルバイトで生計を立てつつ、自立したばかりの主人公の少年が、ふと公園のHLの男と言葉を交わすようになる。
あるとき「何か欲しいものはある?」と少年が聞くと、男は「温かいお湯で顔を洗いたい」と言ったのだった。
男を自分のアパートに誘った少年は、やかんでお湯を沸かし、洗面器になみなみと注いだ。
彼はお湯に手を浸したまま何も言わなくなった。
目には涙が、、次の瞬間、大声を上げて洗面器を引っ繰り返し、少年のアパートを出て行ってしまった。
手を浸した温かなお湯の中には、この男の穏やかで平和な時代が有ったのかも知れない。

家庭がきちんと機能していて、温かなご飯も、温かい布団もお風呂も揃っていれば、子供の心に何ら不安が忍び寄る事も無いであろう。
しかし時として、親の心に不安が忍び寄る事が昨今多くなったように思う。
家庭の維持役が居なくなれば、温かなご飯も、温かい布団もお風呂も無くなってしまう。
子供の心には不安と不満が募り、家にも親にも興味を失い、心は離れて行ってしまう。

白いご飯は出過ぎる事も控える事もない味で、毎日の同じ味である。
ごく当たり前のことなのであろうが、時間の谷間に追いやられて、忘れてしまっているのではないだろうか。

飽食の時代であるからではないが、何も「温かいご飯」が食べられなくても生きては行ける。
インスタント食品もジャンクフードも街中に溢れ返っていて、寝る場所と少々の金さえ持っていれば、生き延びる事は可能な社会ではある。

子供の孤食も増える傾向にある現代、湯気の立つご飯の意味するところをもう一度考えてみたい。


<追記>
コーヒーに続き、焼酎断ちしました。
あ”~、本文ダイナシ、、(爆)

写真微妙にぶれてます(汗)
書けません、撮れません
0397こうも陰惨な事件ばかり続くと、さすがに馬鹿ネタなど書く気持ちになれません。
写真も鳥ばかりで躊躇いを感じてます。
なぜ撮るのか、何を撮るのか、結構真面目に悩んでます。

なので、ちょっと重たいかも知れませんが、問題意識を忘れないためという事で書いちゃいますが、さすがに辛いので今日は引用だけで勘弁して下さい。

LUKA / SUZANNE VEGA

If you hear something late at night
Some kind of trouble. some kind of fight
Just don't ask me what it was
Just don't ask me what it was
Just don't ask me what it was
I think it's because I'm clumsy
I try not to talk too loud
Maybe it's because I'm crazy

<対訳>
真夜中に、何が聞こえても
たとえば、怒鳴り声とか、ケンカとか・・・
どうしたのって、きかないでね
何もきかないでね
ボクって、不器用なんだよ
生意気そうにしないようにしてるンだけど
ボクって、バカなんだよ

唐突に引用した訳は今度書きます。

お休み
1709今日は実生活で朝一番で遠吼えしてしまったんで、疲れております。
誠に申し訳ありませんが、駄文はお休みさせてください。
でも余りに申し訳ないんで、小ネタを一つだけ。

渋滞表示、東京ではキロ単位なんですが、仙台ではメートル単位で表示されます。

あ、駄目? ではもう一つ。
昔のトヨタ・セルシオに積まれていたカーナビ「モネ」なんですが、あれこれ音声でガイドしてくれるんですが、余りに親切なんで煩わしくなって「黙れ!」と怒鳴ると、「はい、黙ります」と言ってサイレントモードになるとか、、、これも駄目ですね、はい黙ります(爆)

ネコちゃんでお許しを
吼えます(怒)、存分に!
過激ですからご興味の無い方はとばして下さい。

最近は実生活でもお馬鹿チャン相手に吼え捲くっているので、何だか疲れが溜まってます。

安城市で起きた乳児殺害の事件、犯人は即刻死刑、いや四肢をもぎ取って犯人に喰わす位の苦痛与えないと世間が、少なくても私が納得しません。
報道によれば出所したばかりで廃車の中で寝泊りしてたっていうじゃないの!
しかも「殺せ」って声が聞こえただと? 完全な分裂症状ですね!
奈良の事件があったばかりだと言うのに一体司法と警察は何やってんだろうか。
メーガン法でも吼えたけど、結局何ら抵抗も出来ない弱い子供達が犠牲になるしかないんですか?
大体出所後の身元引受人(っているの?)とか、このキ印男の親とか何やってたの?えっ、一体?
犯罪者の人権がどうのこうの言っている間に乳児の命が奪われたんですよ?
出所後一定期間は観察処置ってのが必要なんじゃないですか?
叔父も保護司やってますからその苦労は良く知ってますけどねぇ、やっぱり彼等の心理が読み切れないってぼやいてましたから大変なんだろうと思いますよ、現場に居る身としては。
じゃぁ上は何やってのって話なんですが、これじゃ青島刑事と室井管理官のドラマそのものですな。
警官殺しは重罪に処せられるって言うじゃないの。
だったら子供殺しも重罪にしてよ、、ね、ね、政治家の皆さん、少子化でしょ、票取れるよ、アイディア料要らないから、ね?考えてみて下さいよ是非。
それとも銃刀法改正して就学前の子供が居る家庭にはゴム弾銃支給しますか?
そもそも人の命の尊さなんて、この種の馬鹿どもには判る判る訳ないよね、きっと。
だったら薬物療法でも去勢でも何でもやって、ついでに無人島に島流しにして、、出きる訳無いよね、法律で。

何で人を殺しますか?、自分を殺しますか?、助けようと必死で働いているスタッフの姿は知らないでしょうね、絶対。
自分だけ良ければいいんだもんね、絶対。
そこまで考える余裕は無いだろうけど、チョットだけ人の事考えてみない?
誰かを笑らかしてみない? すぐは無理なんだろうけど、頑張ってみない?

親父の友人(元デカ長)が地元で「○○被害者救援センター」の統括やってまして、色々と話は聞いてますから犯罪に巻き込まれたご両親とご長女の心の痛みは具体的に想像出来ます。
もし同じ様な苦しみをお持ちの方は「被害者救援センター」か「被害者支援センター」というキーワードで検索してみて下さい。
自治体毎に施設がある筈です。
そこには犯罪に詳しい専門家と心理面の専門家が居ますから、悩むばかりでなく尋ねてみて下さい。

翔馬ちゃんのご冥福を祈ります。


<追記>
http://www.asahi.com/national/update/0206/024.html
生ぬるい対応ではなかったんでしょうか?
博多日記2
鮮度にビックリです

0064

0065

0044

0067


翌朝の事です。
チェックアウトしてプラプラ駅まで歩き出したらば、市場が目に止まりました。
チビ写なんでイマイチなんですが、どうぞ見てやって下さいませ。
左からの2枚が感動の魚屋さんなんですが、大体が博多湾で採れた魚だそうで、だから新鮮で何処のお店で食べても美味しいのね。
1枚目の右上に注目。 白ギスですよ、何とこの時期に!
それにしても安~い。
必要な量しか仕入れないから、つまりロスト考えなくて良いから実現する事なんでしょうけど、結果資源保護に繋がってますな、流石です。
地球に優しい魚屋さんでした。

3枚目はポ○引きと闘いながらも撮った鳥さんですが、チビ写でこの大きさです。
つまり2m位の距離なんですが、餌付けされてるためか逃げないんですね。

4枚目は昨晩のアテと福岡の地ビールです♪
普段から面倒ばかり掛けているタヌキ社長にも買ってきました。明太子も一緒に。
一応親父にも分けてやろうと思ったのですが、「薄いごだぁ」(by仙台弁)と絶対文句言うだろうからチョビットにしておこう。 「これね、薄造りって言うの」(爆)、、他は全部差し上げますから、どうぞ召し上がれ。
って思ってたら「食べた事無い」と言われ、、、「全部喰っていいよ」と言ってしまいました。
へっへっへ♪の予定でしたからちょっと後悔は残るのだけど、また行く事になるだろうし(自腹なんでイタイのですが)、医者嫌いの私が珍しく好感を持ってしまった位の先生、、いや学者と呼ぶべき方々ですので再会が楽しみなんです。
あっ、そっか、秘書さんと仲良くなってクール便送って貰えば、、、って、駄目ですね、これは。

そう言えば12年、「ふくさし」食べてませんでした。
お店では一応氷入れて貰ったんですが、機内の棚に入れると氷が溶けて、雨漏りどころか他の方の荷物まで濡らしてしまう可能性もあったので、アテンダントの方にお願いしてドライアイス庫で預かって戴きました。
ちなみに「中身は何ですか?」、「フグです」、「はぁ?」、「フグ刺しです」、「へぇ?」、「あっ、ふくさしです」、「あ、はい」てな会話も有りまして、、アテンダントさんも笑ってました。
JALさま、お世話になりました。
博多日記
Hakata思い出の地

7年ぶりの博多です。
振り返ると時間って早いモンですね。
先の事を考えるとキリが無いのに...

えっと、左上から順に
博多ラーメンです。 昔食べた長浜ラーメンとは全く違うもので、かなり残念でした。 チャーシュー麺、見栄を張りました(爆)
付き出しのキャベツです。 タレはやはり秘伝だそうで。 で、何でキャベツなのとの問いには「焼き鳥が焼けるまでのつなぎ」だそうで、きゅうりを出す店もあるそうです。
○○シティ銀行ビル。 これを見た瞬間「あぁそう言えば通勤してたんだ」と、感慨深くなってしまいました。 福岡ドーム近くのホテルをマンスリーで借りて、仲間と寝泊りしながら客先に毎朝通いましたっけ。
何故かきりたんぽ?? さすが本場!?って、博多ですけど(爆)
中段は、しめ鯖、焼き鳥です。
焼き鳥は、上から合鴨つくね、牛スジ、鳥皮、豚バラです。鳥皮は昔の味ではありません。お店が違うから仕方有りませんけど。 でも牛スジは美味しくって、2本追加しました。
下段は牛レバです。 ごま油に塩を入れたもので戴きました。
ラーメン屋を探しに途中下車した中洲です。 12時前だというのに、ポ○引きに3度も声を掛けられウンザリ、、しかも同じ奴に。
歌舞伎町で鍛えられてますからー!!
この日飲んだお酒。 鹿児島熊本のお酒だそうです。 この日は小ジョッキとこのお酒と、焼酎のロック1杯で充分でした。
普段ならボトル空けちゃうんですが、この日は疲れていて良い子してました。
カメラ熱
初めて一眼レフを手にしたのは確か11歳の時であったろうか。

小学校の写真部に入ったのがきっかけであった。
カメラは先生の所有物で子供の手には重いニコマートであったが、快く提供して下さった。
活動は主に休み時間で、フィルム代も今思えば先生のお小遣いから捻出されていたのだと思う。
フィルムは白黒で、現像とプリントは先生が自宅でされていた。

一眼レフのフォーカルプレーンシャッターの音には、子供ながらも心が躍った。
パチッというレンズシャッターのそれとは全く違う世界であり、ファインダーを通して観た世界はどれも新鮮に思えた。
例え一眼レフとはいえ、当時のカメラはオートフォーカスも自動露出機能も無かったから、ファインダーの中に現れる露出計の針を基に、シャッタースピードと絞りを決め、ピントは自分の手で合わせるのであるから、決定的瞬間など滅多に拝めるものではなかった。

中学では写真部に入部したが、相変らずフィルムは白黒で現像も自分達でやった。
フィルムや印画紙は勿論自前であったので、それ程の枚数は撮れず、せいぜい撮っても1日に36枚であったろう。
2~3時間のうちに300枚も撮ってしまう今の私からは想像もつかない世界である。

ある時先輩に呼ばれ現像室に入って行くと、股の間からラケットを突き出し返球しているテニス部員の写真が有った。
どうやらそれは私が撮ったものらしいのだが、ネガを見ても小豆粒位にしか写っていなかったので、本人はとうに忘れてしまっていたショットであった。
現像室には大きな引き伸ばし機が有ったので、どうやらそれで発掘されたらしい。
カメラ熱に感染してしまったのは、これがきっかけだったかも知れない。
母親に無理を言ってオリンパスと望遠レンズを買って貰い、スポーツの大会がある度に撮り捲った。
いつも新体操の取材を希望していたのであるが、レンズが暗いとか、下心が有るとかの理由でフィールド競技ばかりに廻されていた。

オリンパスの使い易さは初めて手にしたニコマートとは雲泥の差で、絞りとピントを決めれば後はカメラがシャッタースピードを決めてくれた。
なので遅いシャッタースピードになってしまう事も時折有ったが、これが後に流し撮りに目覚めるきっかけとなった。

その後10年以上撮ってなかったと思うが、娘が生まれたのを契機にミノルタα-1を引っ張り出し、40を超えてようやく憧れのニコンを手にする事が出来た。
そしてオリンパスを使っていた頃のように、再び長玉の魅力に嵌っているのである。
70-300mmのズームにテレコンバーターを組み合わせ、140-600mmとして使っているが手ブレが収まらないのが目下の悩みである。
一脚を使用すれば良いのだろうけど、今追いかけている被写体は鳥であり、どの方向から現れるか判らないから、まず水鳥以外には使えない。

一昨日Nikon COOLPIX 3700 を買った。
ふと感じた時に手軽にスナップを撮れないのが悩みの種だったのだが、これであれば左手でも撮れる。
右手は常にD70で塞がっているから、左手でも撮れる大きさというのは、私にとってはとても重要である。

カメラ熱は暫く下がらない事であろう。
失われ行くもの
1614大人気ない大人の生き方

私はどちらかというと、大人気ないと言われる側の人間であろう。
と言って子供っぽいとは言われたりしないが、他人に言わせれば

「それ位の事」に度々熱くなったりするし、少なくても必ず一節唸る。
命を軽んじた発言を聞いたり、礼儀を無視されたり、道理を外されたりすると、もう堪えられなくなる。
だが唸った所で、考え方や経験値の違いもあるし、その場その時での相手が置かれている状況、心の状態なども有って、一概に伝わるものではない。
まして正論を押し付けた所で相手の防御を強める働きしかせず、本論を理解して貰うどころか深い溝を造ってしまいがちだ。
写真にも同じ事が言える。
エッジが立つほどにシャープにピントが合っていれば良いというものでもなく、ボケ味が美しいという評価を受ける事もある。
サジ加減の難しい所であるが、相手の心に響く何かを持っていないと、中々人間同士の会話など成り立たないのだと思う。
心を込める、敬うという事は言葉を伝える以上に難しい作業だと思う。

現代の通信手段は過分なほど便利である。
ほんの少し昔であれば、メインの通信手段は手紙であったし、それが電話に代わり、FAXが登場し、携帯やメールが浸透した現在も日々進化を続けている。
では一世紀前に比べて人間は進化してきたのだろうか。
私にはそうは思えない。
手紙が唯一の通信手段であった頃には、送る相手の事を随分と長い時間考えていただろうと思う。
その時間の中で想いを巡らせ、より相手を思いやる言葉を選ぶ段階を経た後に、初めて書にしたためていたのだろう。
何せ書き直すにも、紙を粗末に出来ない時代であったろうから、余計にそう思ってしまう。

一世紀を経た現代の我々はどうであろうか。
世の中が便利になって、より手軽にコミュニケーション出来るようになった事は評価すべきであるが、その手軽さゆえ、思いを込める時間が無くなってしまったように思えてならない。
御用聞きが商売の基本であった時代からITビジネスへと変貌し、お客の顔を見るより商品の受発注と入出金のデータ管理だけ出来ていれば済んでしまう時代であるから、押し流されて気が付く事も無かろうかと思うが、棹さすことも大事である。
とても効率的なのかも知れないが、ともするとお互いが人間同士であるという事を何処かで忘れてしまって、データのやり取りだけの関係に見えてしまう事も有ろうかと思う。

昨今はIT時代であるから、一昔前と比べてデータ集計は驚くほど楽になった。
サーバーコンピューターにデータを入力してくれるという作業が当たり前の感覚になったのだから、本業では大変助かっているのであるが、時に溜息をついてしまうデータを扱う事がある。
極めて特殊な引用ではあるが、1データは1個人のデータであり、当然それは人間のデータである。
不幸な事にデータが読めてしまう人間にとっては、何度やっても好きになれない仕事である。
IT化した現代は相手の顔が見えない分、単なる数値情報の認識として人の生死すら扱う事が可能であるが、それはあくまで集計を掛ける側にとって都合のよい事であり、集められたデータ元の個々の人達には何らメリットはない。

この利便性は大企業のご都合主義を助長するばかりか、人間性まで見失わせてしまう契機になりかねないと私は懸念している。
大企業からみれば、1ユーザーは1データに過ぎない事だろう。
長崎の児童殺害事件は衝撃的なものであり、記憶に新しいところであろうと思う。
加害生徒の心の状態にはかなり問題があったと報道されているが、決してそればかりが引き金になったとは思えない。
ましてインターネットが害悪であるとの寝ボケた指摘は、ナンセンスを通り越して見当外れで大馬鹿である。
きっとこの子にも相手の顔が見えていなかったのだろう。
大人社会がIT化に胡座をかいて一方的に情報を発信し、人を翻弄している様を子供達は見ているのである。
勝手に送り付けられてくるメールの内容通り、美味しい世の中になったのだろうか。
私にはそうは思えないし、まして後に続く子供達にそのように思われて貰っては困る。

インターネットも普及して10年を過ぎた。
ここいらで使い方を一度整理しておくべきなのではないだろうか。
そうしないと、ネット社会での人間性が益々奪われて行くような気がしてならない。
人間復古ためにも、笑って後世に引き渡すためにも、今一度、大人が吼えなければいけない時なのだと思う。

なので蘇れ頑固オヤジ達!
私も含めて(爆笑)

Down Beat2
シイラと格闘せし元隊員、返り血浴びあわや職質

随分と前に書いた記事の続編です。

ギーとリールが鳴いた。
珍しく何かヒットしたらしい。
あれ、飛んでるぞ? もしかしてカジキ?か、、、一斉に沸き立つ甲板、ここぞとばかり出てくるオーナー、オイオイさっきまで船酔いしてたでしょ。

オッサンは早々ファイティングチェアに座るが、何せ初めての大物である(爆)、全然要領を得ていない。
他のロッド仕舞え!と船長から激が飛び、慌てて巻き上げる私。
見慣れないものが出てきた。
初めて使うのであるから当たり前であるが、ファイティングジャケット(ロッドと体を繋ぐもの)であるが、慌てて装着したものだから、上下逆である(大爆笑)

徐々にエンジンを低回転にしながらも、ラインが弛まないよう微速をキープしながらも時折回転を上げる。
同時に「捲いて!」の声。 ファイターに負担を掛けないよう、阿吽の呼吸でジワジワと獲物との間を詰めるのだが、緊張感が張詰める時でもある。
ここで一瞬でもラインに弛みが出たら獲物は海上へ跳ね上がり、激しく頭を振る。
フックを外そうと暴れるのであるが、いつ暴れたらよいのかを彼等は良く知っている。
獣ながら天晴れである。
一応フッキングしていても、重たいルアーが付いた仕掛けであるから、激しく頭を振られたら傷口はどんどん広がり、返し針すら何の効力も無くスポっと抜けてしまう事がある。
上顎にフッキングしていれば別だが、大抵は脇か下顎の弱い部分であるから、慎重に引き寄せないとバレてしまうのである。
梅宮・松方コンビの放送でもよく観る場面である。

それでも何とか引き寄せ、船尾のハッチを開け取り込もうとした時、獣の最後の足掻きでフックが外れてしまった。
幸い(不幸?)な事に一瞬早くギャフが入っていたので逃す事は無かったが、船上に揚げてからが大変であった。

170cmの初の大物である。
普段はタコだのイカだのしか目にした事の無いメンバーであったから、皆、顔色は蒼白である。
「ハッチ閉めて!」の声にも、船尾でバタバタと暴れまくっている化け物を横目に閉めに行く勇気など誰にもなかった。
「写真だけ撮ってリリースしようよ」と言ってはみたが誰も聞いてくれず、ビール以外入れた事が無かった大型クーラーをはじめ全ての物が片され、甲板にリングが出来上がってしまった。
船長が「棍棒ないのー!」と叫び、トランクを開けてゴソゴソやってる様を尻目に、元自衛官の男は獣の相手をしている。
一番先に操舵席に避難していたオヤジ達から若手に「○○イケ~!」と、お気楽な声が掛かってその男が飛び出したのであるが、その男はシイラとの戦い方は当然習っていなかったようで、ひたすら踵蹴りを喰らわせていただけである。
しかしその時、シイラ男、いや元自衛官に火がついた。
後で聞いた話だが「目が合ったらこの野郎噛み付こうとしたんですよ!」(目がムキになっていた)と言っていたが、そんな事で冷静さを失う君にお国を任せなくて良かったよ、ホント、、除隊して正解。
棍棒が見付かりシイラ男に渡されると、今度はK-1並に間合いを取り始め、一打二打と殴り掛かっていく。
シイラにメンチを切られてそんなに悔しいか、、

こういう場合、正しくは大き目のタオルを濡らし目隠しをし、棍棒で叩いて大人しくさせるのである。
が、釣れると言う前提は無かったため、タオルなんて何処にも無いし、そんな事も誰も知らない。

一頻りして戦いが済むと甲板は血の海と化し、シイラ男は顔はおろか全身にシイラの返り血を浴びている。
オマケにTシャツは白であったから、余計に返り血が目立つ。
マリーナに戻り、いつもなら反省会になる午後4時、6時には店に出なければいけないとの理由で、シイラ男は一人電車で帰る事になった。
全身血まみれのまま。
案の定、電車内では誰一人として近づいて来る人は居なかったと笑っていたが、職質受けなかっただけでも幸運である。
誰がシイラと格闘した時の返り血だと信じますか?
オマケに元自衛官だし、スキャンダル好きな雑誌の餌食にもなる所だったって事、気が付いてないでしょ。

それから2~3週間後、シイラ男は自転車で横断歩道を走行中に左折してきた乗用車に跳ねられ、前歯を失った。
その事を我らは今でもシイラの祟りと呼んでいる(爆)

♪シイラを美味しく食べよう♪
シイラはハワイではマヒマヒと呼ばれる魚であり、ココナッツオイルでこんがりとフライにされる事が多い。
某有名ハンバーガーチェーンでも商品となっている、中々旨い魚である。

1.まず釣ってきたシイラを下処理します。他の魚と同じように、内蔵や鱗、
  骨、血合いを掃除し、皮は剥いでしまいます。
2.塩コショウ、レモン、ハーブ等を降りかけ、暫く寝かしたあと、小麦粉、卵、
  パン粉でフライの生地をつくります。
3.揚げます。本場ではココナッツオイルを使う所ですが、この際何でもOKです。

一緒に行った先輩がシイラの塊を持ち帰り、就学前の息子さんに「これパパが釣ったの?すご~い」と言われたそうで、それまで魚を食べられなかったその息子さんは、「パパが釣ったお魚。マックとおんなじ」と言って、バクバクと食べてくれたそうで、以後、魚は何でも食べるようになったと聞いてます。
えぇ話や~

子供の喧嘩見物
一太郎・花子が特許侵害で製造禁止で破棄命令?
http://www.asahi.com/national/update/0201/019.html

ジャストシステムが特許侵害との事らしいが、ヘルプボタンが命取りになるとは何の為のヘルプボタンなのか、何とも皮肉な話である。
まして日本の家電業界をリードしてきた巨人、松下が原告であるから余計に鼻白む。

あらましとしては、
1.ヘルプボタンをクリックするとヘルプモードになる。
2.画面中のボタンをクリックするする事で、そのボタンの機能説明が吹出しで表示される。
というものであるが、特にこれに拘る必要も無いように思われる。
その仕組みを松下は特許取得していて、ジャストが言う事聞かずに特許使用料を払わなかったから訴訟となったらしいのであるが、何とも小さな話である。
その上クリックする対象が、「ボタン」であるか「アイコン」であるかの認識で争ったと言うから益々小さな話である。

大昔のHP(*1)とAppleの話に似ている。
かれこれ18年も昔の話になるであろうか、HPはワークステーション(*2)に様々なアプリケーションを搭載し売っていた。
私が使った事があるのはキャドシステム(*3)で、OSはUNIX系で操作はアイコンによるものであった。
簡単に言えば画面上にゴミ箱やフォルダ、ドキュメントなどが表示されていて、それらをドラッグドロップ(*4)する事でファイルの編集や削除等の基本的な操作が行えるもので、現在のWindowsやMacOSの基礎となった技術であるが、最初はアイディアレベルの事であった。
HPは知らなくても、AppleのOS「漢字Talk 6」をご存知の方は、もしかしていらっしゃるのでは?
HPの画面の印象は「漢字Talk 6」そのものであったと言っても過言ではなかった。
AppleがHPを真似たのであるという説が有力視されていたが、当時のシリコンバレーではエンジニアのリクルーティングも激しかったらしいから、当然技術の流出も過分に有ったに違いない。
その後数年を経て両社は和解したが、現在の両社の衰勢は明らかなようである。

私は昔からPCのインターフェイス、つまりWindowsXPだのMacOSだのは、車の操作と同じで有るべきだと考えてきた。
初めて乗る車であってもアクセルを踏めば走り出すし、ブレーキを踏めば停まるようになっている。
国産車と外車ではウィンカーとワイパーが逆で有ったりするが、大体の操作は判るようになっている。
しかしながらPCはOSが変わる度、違うソフトをインストールする度に教習所へ通わなくてはいけないような状況で、全くもって効率が悪いと思う。
もしこれらの操作が、基本的な部分だけであったにしろ共通化されていたなら、どれ程効率的であろうか。
PCスクールは儲からなくなるであろうが、業界への新規参入者が増え、残業は減り、電気代も節約出来、結果社会が活気付き、地球に優しい、、、幻想でした。

巨人なのだから、もっと大きい事を考えて欲しいのですが。
サン・マイクロシステムズだって、ようやくソラリス(*5)のオープン化に漕ぎ着けたでしょ。
でももし、これが国内特許だけだとしたら大爆笑である。
松下さん、大丈夫?

*1:米国ヒューレッド・パッカード社
   現在ではコンパックと合併してしまったが、元々計測器メーカー。
   創業者の名前からヒューレッド・パッカードとなった。
*2:パソコン差別化を図る宣言のようなもの。
   その呼名自体ファジーであるが、ディスクや電源は良い物を載んでいる。
   まあ、安定度が高いというだけです。
*3:図面を作るアプリケーションシステムの事。
*4:アイコンをクリックしたままマウスを動かし、ゴミ箱に重ねて
   クリックを放すような操作。
*5:サン・マイクロシステムズのOS

※余りに馬鹿馬鹿しいんで伏字にしませんでした。
キャベツのたれ
1511何故か私は福岡という街が好きである。
正確に言えば福岡の人が好きなのかも知れないが、実際のところは良くわからない。
7年位前になるだろうか。
半年位の短い期間であったが、福岡出身の彼等と仕事をした。

オラ○ルを使った○○管理システムであったが、初期コンセプトのまずさから、終には完成しなかったらしい。
予算の関係から私は途中で干されてしまったので詳しい話は定かではないが。

今も彼等の事はよく思い出す。
何しろ九州男児と言う位だから気風がいい。
見ていて気持ちいい位のバイタリティーと、気遣いとを同時に持ち合わせていて、その振る舞いが方が自然である所が何とも心地よい。
「馬鹿チン」とか「それでですね」なんて言葉も懐かしい。
反面喧嘩になると全く手に負えない。
東京人のそれとは桁が違うように思える。
そして、めっぽう酒に強い。
女性であってもである。
私も強い方と言われているが、テーブルに突っ伏し、長い髪を酒浸しにしていた様にはかなり引いた。

何故か福岡は喰い物が旨い。
単に私の舌に有っているだけなんだろうけど、焼き鳥の旨さに驚き、付き出しのキャベツに驚き、その旨さにまた驚きお代りしてしまった。
当時の仲間に「それはお金の無い人のやる事」と、そっと耳打されたのだが、旨いものは旨いのだ。
勿論お金も無いけど(苦笑)
長浜ラーメンも最高である。
慣れないうちは豚骨スープの独特の香りが辛かったが、紅生姜、高菜、ゴマなどをトッピングすると何でもなくなる。
しかも安い。
「ラーメンはオヤツばい」と言っていた訳も判るような気がする。

悪天候の中福岡空港に降りられず暫く博多湾上空を旋回していた事、キャナルシティーから山口県の宇部までシビックタイプR(ワンメイク)で関門海峡を爆走した事、あっさりとNSXに振り切られた事、、等々、思い出す。

今は週末の出張にワクワクし、いや、アレコレ手配が大変なんで、仕事どころでは、、、やるべき事はしてますが、今も福岡は昔のままだろうか。

春キャベツが出始めたら是非ともお試しを。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。